非営利任意団体/Rの会 2018年6月設立

いまそこにあるレトロ建築をもっと生かせ

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まちは、界隈は、ひとが中心に

 木更津市の駅西口に広がる旧中心街(旧というには異論はあろうが)には、立派な道路と広い歩道、そして商店街にはアーケードが掛かっている。

 これらは木更津市が、少なからず旧中心街に投資してきた証である。しかしながら、旧中心街のメインストリートである富士見通りから人通りがなくなって久しくなる。その理由はいくつかあるが、いまさらそれを語っても仕方がない。

 それよりも、これからどうするかが重要である。整備された広い歩道の利用価値はないか、人があつまる場を創れないか、空き店舗をもっと活用できないか、そのようなアイデアが求められているはずだ。

 そのような想いを抱いて当方は、ここ数年に渡って商店街を観察してきたが、とくにこれという動きは皆無だった。まるで何もしない、何もできない、という虚無的な空気が辺りを支配しているかのようだった。

 そして、最近になってある記事を読んだ。それは「マンション建設で転入者呼び込め 木更津市が補助制度」というものだった。

マンション建設で転入者呼び込め 木更津市が補助制度
 木更津市は、空洞化が進むJR木更津駅周辺の中心市街地の活性化に役立てようと、マンション建設費の一部を国とともに補助する取り組みを進めている。都心への通勤や通学の利便性の高さをアピールすることで、マンション暮らしを希望する家族連れの転入者を増やし、にぎわいを取り戻す狙いがある。


木更津温泉ホテル跡地、マンション建設が進む

 60年代、70年代ならいざ知らず、21世紀になってマンション建設で人を集めて、まちの活性化とはこれいかに、である。

 行政の悪口を言うつもりはまったくないが、このような施策とビジョンを見る限り、地方の画一化が進展してやまないのも、ある意味当然といえる。

地方の画一化=ファストフード化
 ちなみに地方の画一化とは、端的にいえば中心街が空洞化し、郊外にドーナツ状に住宅および商業などの拠点が広がることをいう。

 駅前商店街のシャッター街化、郊外の新興住宅地、郊外街道沿いにひろがるナショナルチェーン店など、どこの地方へ行ってもおなじような光景となっている。

 ある知識人は、このような現象を「地方のファストフード化」と指摘した。たしかに、まるでマニュアルでもあるかのように似たような街ばかりとなった。

 マンションもそうである、マンション建設は用意されたモジュールを基に建設される。したがって、どこにも似たような建物ができあがる。

モジュールとは
組み換えを容易にする規格化された構成単位。

 郊外のショッピングモールには、全国均一の規格化された店舗が並び、住宅はこれまた均一的な戸建てやマンションの街並みとなる。このような地方では面白くもないし、また豊かともいえないのは言うまでもない。

 マンション建設で住民は増えるかもしれない、また税収もおなじく。しかし、そのあとに何が残るかが問題だ、未来に残す価値があるものがあるか。

 行政には、マンション建設と引き換えに、きさらづの歴史を継承するレトロ建築を残してゆくことも担ってほしいと願ってやみません。

 きさらづの駅西口がマンションだらけになる日が近いか、それとも他の施策への転換ができるか、あと残された時間は少ないと思われます。

 したがってレトロ建築も、いつまでもある保証は限りなく無いに等しい。

歴史を、文化を、伝統を残せ、再生せよ


マンション建設が進む木更津温泉ホテル跡地近くにある建物

 地方には、それぞれ固有の個性があるはずだった。固有の個性とは、ある意味では、存在意義と言い換えることもできる。

 地方の存在意義=アイデンティティーとは、言うまでもなく歴史性にある。

 歴史や文化を疎んじて、現代化を進めてゆくと地域固有の個性は失われる。そして、コピー&ペーストしたような薄ぺらい街ができあがってゆく。

 それが時代の流れとして仕方がないとするか、それとも違う手立てを考えて実行してゆくか、そこが地方の生き残る道の分かれ目ではないか。

 木更津市では、なにかあると港町木更津としての歴史や文化性を訴求することがある。そのような行政が、よもや西口一帯をマンションだらけにするとは思えないが、経済合理性に傾けば一気にマンション化が進むかもしれない。

レトロ建築が消えれば、港町木更津の歴史も失う
 そこで一言いっておきたい。いまそこにあるレトロ建築は、きさらづの歴史を、長い時間を記憶してきた建物たちである。いまでは、輝きも失せてよーく見ないと見過ごしてしまいそうですが、まちがいなくそこに現存しています。

 経済合理性では、取り壊してマンションにすれば儲かるかもしれません。しかし、地域の存在意義・価値=港町木更津としての歴史や文化性の持つ意味を考えると、マンション以上の価値があると思われます。

 なぜなら、それは掛け替えのないものだからです。壊してしまえば、二度と蘇ることのないきさらづの歴史の生き証人だからです。

 現在のこどもたち、これから生まれるこどもたちに、きさらずの歴史を、時を刻んだ建物たちを残すことは意味のあることだと考えます。

 さらにいえば、きさらづのブランドアイデンティーにもなるはずです。


再生途中で止まったままのたしか浜田屋、どーしたもんか

川越蔵造りのまちづくり

 埼玉県川越は、蔵造りのまちなみが現存する街として有名である。

 現在に残された数少ない歴史を継承するまちなみとして、その存在価値は高くなっている。しかし、その川越のまちなみも危機があったそうだ。

 1970年代、川越では蔵造りの建物が取り壊されて空き地や、駐車場になるところが目立っていたそうです。また残された蔵造りの建物では、合板など近代の建材を使ったリフォームなどがされていたようです。

 そのような現状に危機を覚えた地元の有志たちが、1983年「川越蔵の会」という市民団体を結成し、蔵造りのまちなみの再生に向けて動き始めました。

 その後、この「川越蔵の会」は、半端ない行動をしていきます。市や県を飛び越して国と直接掛け合ったそうです。詳細はリンク先をご覧いただればと思います。

 そして行政ではなく、ごくわずかの有志による市民団体の活動が川越のまちなみを、その歴史をいまに残すことになりました。(後に行政を巻き込んでゆく)

 川越では、当時の地方商店街の流行であるアーケードやカラー舗装とは真逆の方向へと舵を切っています。それは、蔵造りの建物から近代性を剥ぎ取ることから始まりました。そして当然ながら、川越にはアーケードはありません。

 近代的な合板などの建材はもとより、歴史性にそぐわないビジュアルの客寄せツールなども剥ぎ取り、その後は建物やまちなみの色使いの統一など、多岐にわたる項目の基準を設けて現在のまちなみが形成されたそうです。

 現在、川越には多くの人が集まっています。一方、アーケードの商店街は、その多くがシャッター街となりました。

 川越のまちなみ再生には、多くの資産(蔵造りの建物)があるから、実現できたということもあるでしょう。しかし、それでも大きな決断をした市民団体の行動があればこそ実現したのは間違いないと思われます。

 それらの活動は、きっとだれかがやってくれる、という行政頼みや他者依存ではなく、とにかく行動あるのみという勇気を与えてくれます。

参考/川越蔵の会
http://www.kuranokai.org/home.html


富士見通りのアーケード

冒頭写真:木更津駅西口(みなと口)
撮影:cragycloud

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