きさらづレトロ建築活性化委員会
レトロ建築を未来につなぐ
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レトロ建築とはなにか

看板建築、出桁造り、蔵造りなどの建物群

いまそこにあるレトロ建築

 レトロ建築を端的にいえば、歴史が感じられる古い建物のことである。

 一般的には、明治、大正、昭和期に建てられた西洋の建築様式に影響を受けた建築物などをいう場合が多い。例えば、東京駅がその代表である。

 それらを総称すれば日本の近代建築といえるが、日本の場合は少し事情が違っている。西洋では19世紀は近代建築が、そして20世紀になるとモダニズム建築が登場している。しかし明治期の日本では、なぜか西洋の歴史様式が模倣された。

 近代建築とは、産業革命以後の社会の建築のこと。コンクリと鉄とガラスという新しい素材が特徴となっていた。そして機能性や合理性が重視された。

 日本の近代建築の場合、上記した近代建築の概念からはずれる建物が多くなっている。それは、明治期に活躍した建築家の多くが、西洋の歴史様式の伝統を受け継ぐ外国人建築家から学んでいたからといわれる。

 したがって、日本では近代建築の概念はあいまいにならざるをえない。なぜならば、建築様式で分類することができないからだ。

 レトロとは、回顧、あるいは懐古と同義であるが、レトロ建築が価値を高めるのは現存しているかどうかであり、けっして古い写真の中ではない。

歴史という時を刻んだ建物たち

 レトロ建築は、建築史的には正確さを欠くかもしれないが、明治期以降に建てられた西洋式建築、昭和初期の看板建築、関東大震災前の蔵造の商店、江戸時代の農家などの古民家などを含む、総称ということができるだろう。

 それらは建築史的というより、歴史を刻んできたことに意味がある。

 レトロ建築は、建てられた当時はともかく、時代を経てその数が少なくなったことから、その存在価値は高まっている。しかし残念ながら、日本ではスクラップ&ビルドという戦後の概念が、レトロ建築を風前の灯火としている。

 レトロ建築を残す意味とはなにか、それは歴史を刻んだ生き証人だからだ。そこには人々が営んできた痕跡が残されているからだ。大げさかもしれないが、時代をこえた日本の(地域の)アイデンティティーがそこに息づいている。

<レトロ建築の種類>
・西洋様式の建築……駅など公共の建物、富裕層の邸宅など
・蔵造りの建築……木造に土壁を厚く塗り込んだ防火建築の一種
・出桁造りの建築……明治以降に建てられた江戸風の建物
・看板建築……大震災後に現れた代表的な商店建築

 上記した種類の選定基準は、明治以降の商業を中心に、公共と住宅の建物群としました。農業の古民家はとても有名ですが、あえて外しました。たぶん、ここでいうレトロ建築とは違うと思われますがいかに。

看板建築とは


金田屋リヒトミューレ 本町通り

「看板建築」という呼称は、比較的新しくて、昭和50年に建築史家の藤森照信氏がはじめて使用してから、メディア、そして一般にも浸透したそうだ。

 看板建築を端的にいえば、商店のファサード(正面)や人の目に触れる部分だけを西洋の建築様式(基本的に)のような装飾を施した建物のことである。

 この看板建築が多く現れたのは、昭和3年頃からだそうだ。大正12年の関東大震災で大きな被害を受けた東京では、大正12年から昭和3年にかけて、大規模な区画整理が行われた。そして、その後に登場したのが「看板建築」といわれている。

 関東大震災を境に、商店の建築様式も様変わりした。ちなみに看板建築(当時はそういう呼称はない)は、東京や関東だけでなく、日本中の商店に取り入れられている。いわば、当時の商店建築の流行ということができる。


塩粂商店 弁天通り 棟続きの建物も看板建築と思われる

<大震災を境にした商店建築の変遷>
・中心商店街の変化
蔵造り→表情豊かなバラック→アールデコ・ビル
・周辺商店街の変化
出桁造り→ただのバラック→看板建築

参考文献:藤森照信・著「看板建築」より

 大震災後、東京の銀座や日本橋では、アールデコ・スタイルのビルが登場し、浅草や新橋、築地あたりには看板建築が多く見られたそうだ。

 いうなれば看板建築は、市井の人々が集う場所にある商店街に登場した商店建築の新しい様式美ということができる。東京では、裏通りの商店街に、一方地方では中心街の商店に看板建築が街並みを彩ったようだ。

 現在のきさらづには、アールデコのビルを見ることはできないが(たぶんない)、しかし看板建築は、「安室薬店」や「金田屋リヒトミューレ」など、他にもいくつか現存し、いまそこにあるレトロ建築を見ることができる。

 21世紀にこのような看板建築が現存しているのは、もはや貴重というしかないだろう。ちなみに、建築史家の藤森照信氏は自著の中で、看板建築が21世紀までもつことはないだろう、と書いていたぐらいである。


安室薬店 南片町大通り


失われた看板建築 金沢美容室 3月に取り壊された

出桁(だしげた)造りの建物とは


富士見通り沿いにある建物

 大震災までの東京では、一部をのぞくと江戸の延長で商店街は発展したといわれる。中心地ではコンクリや赤レンガなどのビルが立ち並んでいたが、街並みの基本は、「蔵造り」や「出桁造り」で形成されて、落ち着いた趣にあったそうだ。

「出桁造り」の建物とは、端的にいえば明治期以降に建てられた江戸風情の建物のことである。あくまで、江戸風情でありけっして江戸期の建物ではない。

 その特徴は、以下のとおりである。

出桁(だしげた)造りの建物とは
 間口いっぱいに店を開けて、目の通った檜材の格子を並べ、その上に背丈が一尺以上もある一本物の大きな桁を渡し、その桁から片持梁(はり)をいくつも突き出して、さらにその先に出桁(だしげた)を渡し、出桁の上に垂木(たるき)をかけて、軒の出をつくる。

 軒の上を見ると銀色の日本瓦が並び、その付け根からは二階が立ち上がり、二階の上には一階とおなじように、大きな桁+片持梁+出桁+垂木、によってつくられる軒が出ている。(引用:藤森照信・著「看板建築」より)

 現在のきさらづにも、「出桁造り」と思われる建物がいくつか現存している。

 しかし、どちらかといえば「蔵造り」の建物の方が多く残っているようだ。蔵造りは、お金に余裕のある商人が好んだそうだから、昔のきさらづ(とくに港界隈)の商人はお金持ちだったのかもしれない。

桁とは
 建物や橋などで柱橋脚などの上に横に渡して上部の構造体をささえる横架材。


田面通り沿いにある建物


田面通り沿いにある建物

蔵造りの建物とは


ヤマニ綱島商店

 蔵造りの建物とは、木造をベースに土壁を厚く塗り込んだ一種の防火建築のことであり、いわば資産を守ることを主目的とした建物といえる。

 江戸期の商人は、いずれも蔵を敷地内に保有していた。明治期以降の蔵造りでは、店舗と兼用になっているようだ。東京では、蔵造りは以外と少なく、出桁造りの方が圧倒的に多いといわれる。

 現在、現存する蔵造りの建物は、川越に多くが残されている。川越では、歴史ある蔵造りの建物を残すだけでなく、街並みと界隈を現在に継承している。

 ちなみに川越では、80年代に設立された「川越蔵の会」という市民団体が、蔵のある街並みを保存、活用すべく活動した結果として現在の姿があるそうだ。

 古いまちなみ、界隈、そしてレトロ建築は、なにもしなければ消えてなくなるだけである。それを川越は、傍観せずに残す決断をしている。さすがである。

 きさらづにも、現存する蔵造りの建物は意外と多く残されている。しかし、川越と違って、活用されることもなく空虚な界隈の中にそっと佇んでいる。

 なんとも、切なくも虚しい、きさらずの現状である。


富士見通り交差点近くにある建物


田面通り沿いの建物

 蔵造りの建物は、川越と違っていずれも活用されておらず、なんともさびしい限りです。

写真:村田賢比古、cragycloud

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