非営利任意団体/Rの会 2018年6月設立

日本はいったいぜんたい、地方をどーするつもりなんだ

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地方の画一化は進み、どこも同じ光景が拡がる

地方は、金太郎飴か

 いま地方は、金太郎飴のような状況にある。金太郎飴は、どこを切っても同じような絵柄が現れる飴である。それが人が住む街(とくに地方)で起こっていることが不気味だ。それを不気味だと感じない人も多いがいかに。

 地方は、90年代以降(バブル崩壊後)、街の景観がどこも似てきた。はじめに、駅前商店街の衰退と、シャッター街化が共通する現象となって表れた。とほぼ同時に、中心街が中抜きされるドーナツ化現象が顕著となってゆく。

 ドーナツ化とは、街郊外の開発、幹線道路の拡充、それに伴う車社会の進展によって、市の中心街が空洞化する現象のことである。

 郊外の開発が進むと、中心街では商業が消えて、同時に人口も減少した。郊外は開発に伴い、米国型の広い駐車場を完備した商業施設を誘致した。その結果、市中心街の商業地は、その存在意義を失ってしまった。

 90年代、00年代、そして現在まで、その傾向はやむことなく続いている。

 このページの記事は、当方の別サイトに2018年6月に掲載した内容の一部を抜粋してご案内しております。興味がある方は、ぜひ以下のリンク先でご覧ください。

賑わいの界隈はいま何処へ 地方に未来はあるか、商店街に再生の道はあるか

浜野安宏かく語りき/2010年

 浜野安宏氏は、商業および建築のプロデューサーであり、数多くの公共および民間のプロジェクトに携わっています。古くは、日本初といわれるディスコ「ムゲン」を赤坂にオープンしています。

 その後、商業では東急ハンズほか、建築では青山フロムファーストビルほか…数多くの物件を手がけています。現在、渋谷のランドマークとなっているQフロントビルもおなじくであります。

 埼玉県・川越市は、古い蔵のある街並みで有名ですが、そのまちづくりのコンセプトワークとその具体化に協力したのが、当時の浜野商品研究所だそうです。以下にそのほんの一部を浜野商品研究所コンセプトワークより抜粋し紹介いたします。

川越・商店街(街界隈)の活性化方策

テーマ「生きた蔵のまち」
象徴的存在としての蔵

・住を生かす ・商を生かす ・資産を守る、活用する

<3つの提案>
・蔵のあるまちの界隈の提案
・商いの提案
・生活の提案

<具体的方策>
・道路に対する意識変革→交通から人の路へ
・商店街の総合化→街区全体での顧客吸収と界隈演出
・店舗の近代化→現代の生活にあった商品とサービスの提供

 等々…コンセプトワークの一部を略したものです。実際はそれぞれの方策ごとに詳細な内容が記されています。また、街の色彩を調和させ、界隈を演出していくことを重要視していることが、見て取れます。

 川越はいまではすっかり有名となったが、1970年代には寂れた商店街でした。それをなんとかしたいと、80年代になって「川越蔵の会」という市民団体が設立(当初5人ほど)されて、具体的な再生に向けて動き出したそうです。

 その結果、問題になっていた蔵造りのバラバラなファサードも整えられ、高さや色合い、伝統的な蔵造りの風情が漂う町並みへと整えられて現在に至っています。

 川越は、元々資産(歴史や建物)があり、それを活用することで再生されましたが、そのような資産がない地方都市の方が多いのではないか、と思います。

 ちなみに昨今では、寂れた商店街を再生させる具体策が判ればノーベル賞ものだと、関係者の間では言われているそうです。

 以下には、浜野安宏氏が講演会で語った内容の一部を紹介いたします。

<浜野安宏かく語りき/2010年>
第26回 NSRI 都市・環境フォーラムより、一部抜粋しました。

 地方自治体と仕事をすると、いつも交付金とか補助金とか、そっちのほうばっかり向いておられるので、なかなか我々の意見を聞いてもらえないんです。

 また、チェーンストア や、大企業を持ってきてくれとか、工場を持ってきてくれとか言いますが、そういう時代 が終わったというのははっきりしているわけです。超高層も終わりです。

 ここまで街が、巨大高層ビルと安物の郊外モールに支配されていいのでしょうか。

 日本の文化を何とかしなければいけないではないですか。例えば、市街地のシャッターだらけの商店街も、中には再生可能なところがあると思う。

 宝の山がたくさんあると思うんです。イオンなどに崖っぷちへ追いやられた地方商店街をもう一度よく見直してみる必要があると思います。だから、歴史と伝統のストリートまでマネーゲームにするなと言っているわけです。

 モビリティ社会が都市をどんどん変えていくんですが、やはり人間の生活は、車というより基本は歩行者のレベルで考えていくべきだ。それが余りにも一方的に進化していったのです。

 一番問題なのはアーケードです。古い商店街ではアーケードがかかる。そしてはやらなくなって、最後はシャッター街になる。これを何とか食いとめなければいけないということをいってきました。

 行政の人とか政治家は、目立つことばっかりやっていますが、こんなに汚くて目立つものを消すということをしない。消しても手柄にならない。

 箱物をつくっていた方が手柄になる。安藤先生に頼んで駅をつくりましたとか、隈先生に頼んで市庁舎をつくりましたとか、子どもの楽園をつくりましたとか、そういう方が手柄になる。

 ショッピングモールです。この中にやった人がいたら申しわけないですが、やった時から失敗ですよと私は言っているわけです。

 今頃こんな郊外型の巨大タウンをつくって、どうなるんですか。みんなが都心に住んで都心の高層住宅に移っているときに、イオン様様でやって、歩き切れないぐらい長い商業街をつくって、周辺には大住宅開発をしようとしておられるけれども、あんなところ売れるんですかねと僕は思います。

 日本の街というのは本当に不満だらけです。世界から見て、本当に汚いと思いませんか。 電線を地に埋めたり、もう少し街並みを意識しながらいい建物を建てたり、どうしようもなくなった街を何とか再生させる。
http://www.nikken-ri.com/forum/266.pdf

 とにかく、多くのまちづくりに関係してきた浜野氏でさえ、地方の現状にはさじを投げている様子が見て取れます。

引用:WEBサイト「パスワードは一万年愛す」より
賑わいの界隈はいま何処へ 地方に未来はあるか、商店街に再生の道はあるか

追記:
 ちなみに当会では「浜田屋再生」に関する活動をします、と以前にご案内をしましたが、その後関係者の意思が揃わず現在に至っています。

 地域、あるいは商店街という当事者の興味・関心がなければ、いくら提案しても暖簾に腕押しであり、なんの成果も生まれません。

 残念ですが、現在は様子見の状況であります。ご了承ください。

 現在、木更津市では、まちづくりのテーマとして、「サステナビリティ」という考え方を掲げています。それはどんな意味なのでしょうか、けっしてスクラップ&ビルドと同一ではないと思いますがいかに。

サステナビリティ=「もったいない」
 サステナビリティは「持続可能」を意味する英語。日本的な考え方に置き換えると「もったいないと思う心と知恵」を実践し、次世代に伝えること。

 未来のひとびとに歴史と、それを体感する歴史ある建物を遺すという行為もおなじく、サステナビリティ=「もったいない」につながるはずです。

サスティナブル
英語の綴りは「sustainable」。維持できる、持続できる、などの意味。カタカナ語としては、「将来の社会や環境などを損なわないような」といった意味で、特に、環境問題や住宅・建築などの分野で使われる。

 冒頭写真の建物は、駅西口にある「安室薬店」さんです。たしか、昭和7年ごろに建てられた希少な看板建築であります。なお、浜田屋の蔵造りはもっと古いかもしれません。ともに価値のある建物であります。

 これらの建物を遺す意義とはどこにあるでしょうか。端的にいえば、「もったいない」と思いませんか。なぜなら、現代の建築屋さんではこれらの建物をつくることが、かなり難しいと思われるからです。

 昨今の大工さんは、工場出荷の部材を組み立てることがメインであり、材木を切り出して家をつくることは稀なようです。

 また、時代は変われども綿々と歴史が続いている証でもあります。

 サステナビリティは「持続可能」を意味するそうですが、まちの歴史性を持続させる象徴として、歴史ある建物を遺す意義があるのではないでしょうか。

冒頭写真:「安室薬店」 木更津市(撮影/村田賢比古)
中段写真:「川越一番街」 川越市(ウィキペディアより)

おまけ/浜田屋再生を考える(資料)

浜田屋再生を考える会で作成したスライド資料の一部を以下にご案内いたします。

画像はクリックで拡大します。

追記:
 上記したようなことをいうと、「時代の流れにまかせるしかない」という実にクールな意見をされる方が多数います。(実際は他人任せであるが)

 今回、某SNS(note)にコメントいただきました。ありがとうございました。
その内容は、「街は生き物です。「駅前商店街」を、死に体を愛でるが如く扱う、、、というのは、、、」、というご意見でした。

いきもの【生き物】
① 生きているもの。生物。狭義では,動物だけをさす。
② まるで生きているように自分で動くもの。

「街は生き物です」というのはクールな言い方です。でも実際にはどーでしょうか。当方の感覚では街は人がつくっている、そのように理解しています。

 街は勝手に生きてるように動いてくれるでしょうか。時流というものがあっても、それを活かす、活かさないのもまた人であると考えます。

 2018年12月、川越一番街に関する講演会を主催しました。そこで知ったのは、あの蔵の街川越は70年代まで、それこそ死に体にあったそうです。写真で見た当時の煤けた看板だらけの街並みが印象的でした。

 そんな街を再生するには、大変な努力が必要だったのは言うまでもありません。当然のようにその再生は人によって成されたものです。

 したがって、単純に「街は生き物です」というご意見には賛同しかねます。あしからず。街は人がつくる、あとは街の人々にその意思があるかないか、という問題だと思いますがいかに。


1975年頃の川越一番街

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