きさらづレトロ建築活性化委員会
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きさらづのレトロ建築|ヤマニ綱島商店と綱島家住宅

蔵と和風建築が醸し出す情緒ある風景

先日、きさらづでは数少ない登録有形文化財に指定されている「ヤマニ綱島商店」さんに建物調査のついでにお話をお伺いしてきました。突然の訪問にも関わらず、やさしく、また温かく接していただきました。

建物調査をしていると、よく胡散臭く思われますが、綱島さんはそのようなことはなく、写真を撮るなら表に暖簾をだそうか、とまで言ってくれました。

そして後日、改めて訪問し撮った写真を以下に掲載いたします。この場を借りて、綱島家のみなさまに感謝を申し上げます。

ヤマニ綱島商店 江戸末期築 蔵造り(店蔵)

綱島商店は、木更津市旧仲片町のさかんだな通りで、江戸末期から乾物や海産物等を商ってきた長い歴史を誇る老舗商店です。(現在は営業していない)

綱島の屋号の由来は、神奈川県綱島村から、680有余年前に現在の西口に、吉祥山光明寺が開山(寺を開く)の折、最初の檀家となってきさらづの現在地に移住してきたことにあるそうです。ちなみに、現在の当主で14〜15代目となるようです。

江戸末期の慶応2年(1886年)に現在の商店を創業しています。(それ以前は、魚屋を営んでいたとか)時代背景は、幕末という激動の世の中でした。そのような時代をこの蔵造りの建物は、記憶に刻んでいまに伝えています。

店蔵(見世蔵)

綱島商店は、一般的には蔵造りの建物ですが、土蔵ではなく「店蔵」といわれます。店蔵とは、一階に店舗部分を設けた蔵造りの建物のことです。

店蔵とは

店舗を蔵造りとした「店蔵」は、通りに面した商家の顔である店舗を蔵造りにすることで、周辺からの類焼を防ぎ、裏につづく土蔵とあわせて敷地内への飛び火を防いだと考えられます。また、蔵造りの本来の目的である防火のほか、装飾的な要素も兼ね備えた工夫がされた店蔵もあります。(川越市蔵造り資料館)

蔵造りの建物が繋がっていて前面部を前店蔵、その奥を中店蔵というようです。前店蔵は店舗として、中店蔵は作業場として使われていたそうです。

店舗の前面部は「出桁造り」という和風建築の様式になっています。出桁造りとは、軒を長く出して、一本の長い桁を腕木が支えて、桁の上には垂木があり屋根を支えています。(明治期以降の和風建築は概ねこの様式にあるようです)

ちなみに、前面部の軒は、かつてはもっと長かったそうです。道路拡幅によって軒を短くすることを余儀なくされた、とご主人が言ってました。

前面部の屋根は、明治期までは板屋根でしたが、大正期以降には銅板葺きとなりました。店舗入り口は、現在は硝子引き戸ですが、かつては板戸だったそうで、開店時は通りに向かって開放されていたそうです。

店内に入ると、いまでも江戸時代の商店の趣が色濃く残っています。店内入って左側部分には、時代劇でよく見る「座売り」の板敷き(昔は畳)があります。そして店内右奥には、かつては帳場があったそうです。

座売り(ざうり)とは
江戸時代の商店における販売形態の一つ。主に畳敷きの床の上に販売員が正座や胡坐をかくなどして販売すること。実演販売することもあったそうだ。

店内壁面には、歴史ある商店ならではの趣のある棚が設えてあり、商店としての格式の高さを感じることができます。

店内および建物自体は、よく手入れされているのが伺えます。ご主人に訊いたところでは、出入りの大工職人さんが修繕等をしているそうです。

蔵の外壁部は、30センチ超の厚さの白漆喰で仕上げられているそうです。現在はグレーに変化していますが、かつては白さが際立っていたと思われます。

そして、蔵ならではの立派な屋根瓦は、かつての面影を現在に引き継いでいます。

登録有形文化財

ヤマニ綱島商店は、現在、国指定の登録有形文化財(2011年7月登録)に指定されていますが、その端緒は、工学院大学の初田教授が、木更津市を訪れて綱島商店の建物調査をし、それを学会で発表したことにあるそうです。

その後、文化財登録を推進したのは、木更津市文化課(当時)に籍をおく方だったそうです。建物調査も各部の寸法などを詳細に調べたり、大変な作業だったようです。さらに申請書類も用意する必要があるので登録申請するだけで一苦労です。

ちなみに、文化財に指定されても助成金などはないそうで、修繕費などは綱島家で自己負担しています。このような文化財を維持するには、当事者でなくては分からない苦労が多くあるようです。

この歴史ある建物が、できる限り未来に繋がってゆくことを願ってやみません。


創業慶應二年の老舗ならではの風格が漂う大きな暖簾


出桁造りの軒、かつてはもっと長く通りに出ていたそうだ


建物左側から見上げた蔵の外壁部分


蔵の風格が漂う屋根の瓦、そして大きな鬼瓦が存在感を漂わせています


写真:masahiko murata
建物右側から見た蔵の外壁、かつては白く輝いていたと思われる

綱島商店店内


かつて座売りがされていた店内の様子


右手奥には、かつては帳場があったそうだ


店舗の裏側、希少な箱階段と神棚がある


漆喰で塗られた防火扉

綱島家住宅 大正6年築 和風建築

凛として佇む和風建築

綱島家住宅は、大正6年築の伝統的な和風の建物です。さかんだな通りの綱島商店の裏側にあたり、地続きにある別宅となります。

この和風の建物は、姿形が実に端正であり、和風建築の理想形を絵に描いたかのように整っている様子が感じられます。

そして、当時の大工さんの技量の確かさが伺えます。きっと丹精を込めて建てられたものと思われます。現在では、このような和風建築を建てられる大工さんも少なくなったといわれます。なんせ、現代の住宅は組み立てが主体ですから…。

ちなみに、建物の建設当時、大工さんは常用であり、また完成時期はとくに設けなかったとか。いい素材を使い、大工さんの技量が思う存分発揮されたと想像ができます。竣工までの期間は約1年かかったそうです。

使用した素材の贅沢さは、玄関の戸袋が「けやきの一枚板」で仕上げされている等に垣間見ることができます。

個人的には、まるで着物姿がよく似合う女性のようだと、感じたのですがいかに。

綱島商店の蔵とは、地続きで間には庭があります。かつてはこの建物のずーと先まで綱島家の庭だったそうです。現在は区画整理のため道路が通っています。

区画整理前は、さぞや立派な和風建築がその魅力を存分に発揮していたと想像できます。建物内部は拝見できませんでしたが、いまでも素材の良さを生かした歴史ある和風建物ならではの風格を残しているそうです。

長い時を経て、ひっそりと佇む綱島家住宅は、和風建築の美意識や価値観をいまに伝える希少な建物ではないかと思います。

このような歴史ある建物がある限り、きさらづもまだ侮れない魅力を秘めている、そのように思いますがいかに。


現在は道路となっているが、かつては綱島家の庭が広がっていた


蔵と和風建築のあいだにある庭

参考資料:木更津市教育委員会、町並み調査隊、綱島家主人聞き取り
写真:cragycloud 2018年11月(一枚を除く)

追記:
今後、より詳細な情報が得られれば追加していくつもりでいます。また、綱島家ご主人へのインタビューや、有形文化財登録を推進した方への聞き取りも、これからしていきたいと考えています。

<訂正>
・登録有形文化財指定、綱島家由来などに関して、一部訂正いたしました。(2018/11/25)

次回の「きさらづのレトロ建築」に乞うご期待ください!

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